2018/05/15
「よごれっちまった、悲しみに・・・・」
海援隊の「思えば遠く来たもんだ」って、のも中原中也だったんだね。
中原中也の「名辞以前」(めいじいぜん)という言葉を初めて知った。
「名辞以前」とは
簡単に言うと・・・
現代の様々な言葉による表現方法は、ほぼ言い表されつくされている。
僕らは、物を見た時や何かを感じた時、その認識したことを、知らず知らず既出の言葉で表現している。
例えば、突然ボールが飛んできたとき、「うぅあgんfjっつ」と一瞬、思い、感じたとする。
しかし、言葉にしてしまうと「あっ、突然ボールが飛んできた!」と表現してしまう。
ブランコが揺れていれば、「ぶら~ん、ぶら~ん」とか「ゆら、ゆら」とか表現してしまう。
当然とか当たり前と言えば、それまでであるが・・・
それが凡人である僕らの頭の中にある、数少ない言葉による表現方法である。
この様に、僕らは普段の生活の中で、昔むかしの先人の表現した言葉を学び、ごく当たり前に、意識もせず利用している。
すなわち、それは名辞以後(めいじいご)の表現である。
でも、最初に「ぶら~ん、ぶら~ん」って表現した人は、そんな表現方法や言葉のない世界に、自分が見て感じた目の前の現象を誰からも影響を受けず抜群のセンスで「ぶら~ん、ぶら~ん」という表現を生み出した、ということを忘れてはならない。
それが「名辞以前」の表現
今ごく当たり前に使っている様々な表現方法や言葉も、「名辞以前」に生み出された。
最初に使った人は、クリエイティブな表現をした人だったということ。
その表現方法が長い間、受け継がれ続け、今では「ぶら~ん、ぶら~ん」も「あっ、突然ボールが飛んできた!」超メジャーな名辞以後(めいじいご)の表現、言葉となった。
凡人の表現は、名辞以後(めいじいご)
ボールが飛んできたときに、「ぐぢふぁがhfじぇj」と感じても、その感覚を言葉として表現できない。
ので、結局は、「あっ、突然ボールが飛んできた!」と表現してしまう。
ブランコが揺れていれば、頭に入っている数少ない擬音で「ぶら~ん、ぶら~ん」とか「ゆら、ゆら」としか言葉による既存の表現方法でしか表現できない。
しかし中原中也は「サーカス」と言う詩の中でブランコの表現を「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現した。
幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さかさに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値やすいリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉のんどが鳴ります牡蠣殻かきがらと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外やがいは真ッ暗 暗くらの暗くら
夜は劫々こうこうと更けまする
落下傘奴らっかがさめのノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
中原中也 『山羊の歌』より
これは、完全な中原中也のオリジナルである。
中原中也のようにオリジナルな表現を生み出す才能があったなら。
何かを生み出すことの出来る、クリエイティブな人間には憧れてしまう。
常識や非常識、これが良い、これは悪いという既成概念を全てを取っ払ったうえで、この「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」の表現が生み出されているんだろうな~
人を真似るとき、人から教えてもらうとき
身近なところでは、ビジネスマンの「企画」や「コンテンツ」の産みの苦しみもありますが、そんな人たちが苦しんで生んだ「モノ」を真似るときや、教えてもらうときは、ただパクるだけではなく、これからは、少しでも、その生みの苦しみを想像し、敬意を払ってパックって行かなければならないような気がした。
元外交官で作家の佐藤優は、ある雑誌のインタビューで言っていた。
「哲学書の読み方について、著名な哲学者は一生をかけて、苦しみ抜いて一冊の本を書いた。僕らは哲学者が一生かけて考えた思想を、一冊の本によって学ぶことができる。そんなコスパの良い読み物はない。」
でも、意識しないほど超メジャーな表現、思想になると、いつの間にか、パックった側の都合や偏見で、オリジナルが歪められ、違った使われ方をされてしまうこともあるようだ。
「無知」と「想像力」のなさに原因があるのかな?(ちょっと横道に反れました。)