2018/05/15

昨年の夏に久しぶりに上野に来た。
そのとき、子どもの頃、寝台列車に一晩ゆられ、家族で東京に向かい、翌朝終点上野で電車を降りて感じた都会の雰囲気が蘇りった。
なんだか、その雰囲気が懐かしくなり、また上野を歩いてみようと立ち寄った。
昔は、東北新幹線は上野駅が終点だったが、現在は東京駅が終点となり、上野にはあまり行かなくなった。
上野は、東京の他の町と異なり昔と余り雰囲気が変わっていないような気がする。
あまり開発が進んでいないんだろうか?
もちろん新しく出来た建物もある。
が、しかし古い建物もだいぶ残っていて、東京の「綺麗なところ」と「汚いところ」が混在しているようにしているような気がする。
個人的には、カオス的で好きである。
私はお酒が好きなので、アメヤ横丁の立飲屋や居酒屋で、みんなが楽しそうに昼間っからオープンスタイルで飲んでいる感じが好きである。
そして、パンダ橋の両端は浮浪者たちのたまり場であり、それらしき方々は皆、酒を片手にタバコを吸いながら飲雑談している。
そのパンダ橋を渡り少し歩けば、美術館やら、上野動物園、上野公園などの公共施設がずらりと並び、休日を楽しむカップルや家族ずれが目に入る。
この町は、「表」と「裏」、「光」と「影」が背中合わせ。
話が逸れるが、「最近のパチンコ屋さん」はとても綺麗で店員さんも礼儀正しい 。
「昔のパチンコ屋さん」はそうではなかった 。
「昔のパチンコ屋さん」といえば、金髪の若いお兄ちゃんやお姉ちゃんが働いていて、とても不健全、いかがわしい雰囲気が満載だった。
でも僕は、昔のそういった正直な雰囲気が好きである 。
その雰囲気のまんま
パチンコ屋の空間君は、嘘偽り無く言う。
「そのとおり、ここはギャンブル場だよ!」
「よい子は入っちゃいけないよ。」
「ここはそう云う輩の集まる場所さ」
堂々としていて、良い。
「最近のパチンコ屋さん」は、そのようなマイナスイメージを払拭するために cm でゴミ拾いのボランティア活動をしています的なコマーシャルをしたりしているが、なんか違和感を感じる。
僕の身勝手な偏見だろうが、最近のパチンコ屋の空間君は、さぞ後ろめたさを感じているだろう。
その点、上野の空間君は、まだ堂々としている。
「ここが本当の生(なま)の都会さ。テレビで見ると都会ってな華やかに感じるだろ。」
「でも上野って、テレビで見る都会となんか違うだろう。」
「一方が輝けば、他方は錆びて行くのは、宿命さ。」
「世の中そういう仕組みになってるんだぜ。」
「【良い所】と【悪い所】」
「【表】と【裏】」
「【光】と【影】があるんだよ。」
「新しいモノ、古いモノ」
「綺麗なモノ、汚いモノ」
「勝と負」
「豊と貧」
「昭和と平成」
勿論、田舎にも光と影はあるけどね。