退化したっていいじゃない。

とある団塊ジュニア世代の男が( ˘⊖˘) 。o( )ーー「進化」と「退化」の迷走 ーー

仕事の本質は他者貢献であり、他者に見返りを求めることはやめる。20180505~20180511

time 2018/05/15

仕事の本質は他者貢献であり、他者に見返りを求めることはやめる。20180505~20180511

20180505(土)禁煙32日目9:00起床
本を2冊購入「集中力はいらない:森博嗣著」「エッセイ微熱少年:松本隆著」計1728円
ふらりと、ハクの買い物に付き合いイオンにいくと、ダイアモンド・ユカイが歌っていた。
なんと、生「ロシアンヒルの上で」が聴けた。
夜、食事は近所の居酒屋で・・・


20180506(日)禁煙33日目8:30起床
全く金を使っていない。
アドラーワークブック2・3
2.目的論(重要)
他人のことは目的論で批判するのに自分のこととなると原因論で慰める。
自分には甘い証拠である。
実は、目標が達成できなかった時にとってしまった行動や失敗を真の自分は望んでいるのである。
自分の目標を達成するには、他の感情や行動に制限や劣後させなければならない。
言わば、本来自分が望んでいる行動や感情の犠牲である。
何かを得るには、何かを犠牲にしなければならないのである。
よく、こんなこと言われない?
「バカなの?できないのは本当にやろうと思ってないからよ。」
と僕は、よく言われてます。

怒りの感情について
怒りは二次的な感情である。
一次的な感情を自分でしっかりと見極める。
一次的な感情の例
相手に云う事を聞かせたい→怒り
そんな事できない→怒り
バカにされた→怒り
感情(怒り:喜び)は性格の排泄物で、性格を変えることにより感情も変化する。
らしい。

自己啓発本を見ると、よく「10年後の5年後になりたい自分」「10年後の自分はどうありたいか?」という質問がよくある。
この質問に対して答えられていない自分がいる。
具体的に、「こうなりたい」というイメージが沸いてこないのだ。
であれば、外向きな大した目標ではなく、内面的な目標(人に優しく、とか・・)でもいいような気がすると思ったのだが・・・
なんとなく違うような気がする。
15年前の僕には、確かに明確な目標イメージがあった。
ある程度の目標を達成した現在は、沸いてこない。
では、どうやって生きていくか途方に暮れていた20年前(20代の頃)は、どうだったか?
なんとかしなくてはと焦るばかり、しかし何をしたら、どう行動したら幸せになれるのか、分からなかったので、手当たり次第チャレンジしていた。
チャレンジ、チャレンジで少しづつ自信がついてきた。
しかし、また壁にぶつかり世間は全く僕を認めてくれない。
毎日ガムシャラに壁を少しづづ削って行った。
いつの間にか壁に穴を開けることが目標となっていた。
なんとか穴を開けたら、ぱっと視界が良くなった。
今はその時ほど何かをしなければいけないと言う観念に追い詰められている訳ではないが、やはりダラダラ生きるのはあまり良くないような気がする。
何を言いたいかというと・・・
「大きな目標を見つけるのは難しい、何も考えが浮かばず漠然とした10年後のことをあれこれ考えるよりも、興味があり役に立ちそうな小さな目標を一つ一つクリアしていけば自ずと何か見えてくるんでないかな。」
と言う話

思い浮かぶ小さな目標
仕事面

行政書士試験をチャレンジする。
健康面
筋トレをする。
歯医者に行く。
タバコをやめる。
趣味面
楽器を習いたい。

3.全体論
2の目的論3の全体論を通して 目標を達成できないのは、全てが、単なる自分自身に対する言い訳であることが、よ~く分かった。
「できない」のではなく「やろうとしてない」「やろうと思ってない」強いては、「やりたくない」のである。
それが、本人すら気づいていない 人間の心理である。

時間を無駄に使わない為に
朝起きて、勉強するか、筋トレするか?を迷った。
間違いなく勉強優先であるのだが、これに捉われていては結局ウダウダし無駄な時間を消費してしまうことは明らかである。
そんな時は筋トレする。
近所の川原沿いを競歩してみると素晴らしい1時間コースがあることを発見した。
天気の良い日の楽しみが1つ増えた。
外に出てみるもんだ。
何を言いたいかというと・・・
「時間を有効に使うには、優先順位を決めて2以上の行動の選択肢を常に用意しておき、気が乗らないときは直ぐに下位の行動に移すと良いのだな。」
という話


20180507(月)禁煙33日目6:00起床
アドラーワークブック:4
4.認知論
人はそれぞれの主観的な見方で物事を把握しており、それしか出来ない。
完全に客観的に物事を見ることは不可能である。
心のメガネ=私的理論(プライベートロジック)
共通感覚(コモンセンス)
私的理論の歪みが酷いと基本的な誤り(ベーシックミステイク)が起きやすい。
ベーシックミステイクの注意点
1 決めつけ
2 誇張した考え
3 過度の一般化した考え
4 単純化した考え
5 見落とし
6 誤った価値観

我々は経験から学んでいるのではない。
自分のライフスタイルに合わせて経験を作っているのである。
ものの見方を変えれば経験の受け止め方も違ってくる。
と、アドラーが言っていたようである。


20180508(火)禁煙34日目5:30起
アドラーワークブック5
対人関係論
人の全ての行動には、相手(誰か)に対する行動という側面がある。
そして、人は話す相手によって意見も変われば、気分も変わり、行動も変わる。
よって、人の印象というものは、相手により様々であるということを理解する。

課題の分離
人の課題に意見を言ってはいけないし、干渉してはいけない。
意見を求められれば、勇気づけ(後に説明)でアドバイスする。
それが人間関係がうまくいくコツ。

一緒にいてリラックスができる人物は誰ですか?という質問があった。
家族といる時という無難な答えを除いては、特定の誰かとリラックスできる場面なんて、あるもんだろうか?
僕は、一人でいる時が一番リラックスできるが・・
その意図は、相手にとってリラックス出来る存在になるには?
自分が一番リラックスできる相手の態度接し方を想像してみよう
と、いう趣旨だろう。
ハク → 気分の良い時は子供のようにはしゃいでいる。
ガンニョ → いつも冗談で笑わせてくれる。
そう言う事か・・・


20180509(水)禁煙35日目6:00起床
アドラーワークブック6
共同体感覚
共同体感覚を持って生きるとは共同体に自分の居場所があるという所属感のことです。
そのためには・・・
自己肯定ではなく自己受容
何事もポジティブに考えるのではなく、できない自分、不甲斐ない自分を有馬ありのままに受け入れ、自分のできること、できないことを見極めて前に進んでいくことが大切
他社信用ではな他者信頼
条件付きの信頼ではなく無条件の信頼で考える。
自己犠牲のない他者貢献

自己受容→他者信頼→他者貢献→ 更に自己受容を繰り返す。

自己中心的考えからコモンセンスに切り替え、他者や社会共同体に価値があるということを考え方てみる。

仕事の本質は他者貢献であり、他者に、そのに見返りを求めることはやめる。
承認要求をせず、自己犠牲もせず、共同体に貢献できる人間に、そして家庭やその他の場所で今後貢献できそうと思うことを書き出してみよう。
身近な共同体以外の何かとつながりを感じたことを書き出してみよう。
グローバルに考えローカルに行動せよ

昨晩怒られたこと
理由は次の通りである
「家のことを全く何もしないのに職場で偉そうに私に意見を言うな
私に指示をするな。口の利き方を気をつけろ。自分のことばかり考えてないで、家の事もちゃんとやれ。例えば、洗濯機を回す干すたたむ、週に一回掃除機をかける。いちいち私に言わすな。言われなくても自らやれ。」

僕の意見はそれなりにあるが そんなこと言ってもしょうがない 昨日学んだ対人関係論、他者への忠告は他者余計なお世話である。
その言動は、かえって間関係を悪くする。


20180510(木)禁煙36日目6:30起床
コモンセンスとコモンロー
「common sense」(共通感覚)っていろんな解釈の仕方があるみたい。
社会契約説の始まりは、無秩序な世の中で、それぞれ人の生活を守るために社会全体でルールを決めようと言うこと。

20180511(金)禁煙37日目7:00起床
アドラーワークブック:7
勇気づけ
1 勇気づけすることにより、「劣等性」「劣等感」を抱えながらも 建設的な選択をできるようになる。(自己決定性)
2 勇気づけすることにより、勇気(目的)を挫く原因分析型の人間ではなく、未来の問題を探る問題解決型に人間になれる。(目的論)
3 勇気づけできれば、心の葛藤を言い訳せず、心と体の統一ができた状態になる。(全体論)
5 そして、ベイシックミステイクスを防ぎ、健全な心のメガネで世界を見ることが可能になる。(認知論)
6 さらに、自己受容:他者信頼:他者貢献を手助けすることができる人間となる。(対人関係論 )

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ヤトゥ

ヤトゥ

「とある小さな都市」のフリーランス。-ある日誓いを立てた。ブログを通してスキルアップ!歳を重ねても若者に負けないよう日々研鑽すると。--