退化したっていいじゃない。

とある団塊ジュニア世代の男が( ˘⊖˘) 。o( )ーー「進化」と「退化」の迷走 ーー

いい人だったのかも知れないが思考停止状態、海馬が完全にオーバーワーク

time 2017/09/02

いい人だったのかも知れないが思考停止状態、海馬が完全にオーバーワーク

ワイフの友達の長女が昔学校で「いじめ」にあった時、担任の先生に「いじめた子供と自分の子供を仲良くさせてくれとは言わないから、これ以上、絶対に理不尽ないじめが起こらないようにしてください。」と抗議したことがあったそうだ。そのとき学校の先生は突然泣き出してしまったと・・・・

その先生はとてもまじめで、とてもいい人だったのかも知れないが思考停止状態、海馬が完全にオーバーワークしてしまったとも考えられる。

昔々学校の先生といえば聖職者として、威厳があり生徒やその親に対してある程度の影響力があり、俺なんかはよく殴られたりしていたものが、現在においては「学級崩壊」、「モンスターペアレントなどの出現」により、学校の先生の威厳は跡形もないようである。
(旧)聖職者と言われる業界の仕組みや実態は良く分からないが、「学校の先生になって子供の教育に携わりたい」「政治家になって世の中を少しでも良くしたい」などの夢を持ちその業界に飛び込む人はとても素晴らしい志を持っていると思う。

学校の先生が生徒と接する時間は親より多いかも知れない。(ある一定の時期においてであるが)しかし多くの生徒を抱える学校の先生にも限界がある。また出来る事と出来ない事がある。
「いじめ」があった場合、学校がそれを隠蔽する体質は良くないが、「いじめ」を全て学校のせいにすることは出来ない。(戦争がなくならないように「いじめ」があるのが当然というとこから入らなければならないのではないか。)

最近、学校の授業科目の「道徳」の時間について話題になっているようであるが(いまは道徳の時間がないのか?そのあたりが良く分からない)いまさら学校教育で一律道徳に力を入れるって、そんな時代は既に終わってしまったような気がする。教えるとすれば学校ではなく家庭で教えなければいけないだろう。

日本における道徳とは、ある視点からみると歴史的に権力者が国民を支配するために利用されてきた側面もあるようであるが、ここでは後ろ向きに考えずに、人の心を潤す教育と考えよう。その点において道徳(社会観)は子供に限らず大人も学ばなければならない。

すこし「堕落」について考え直そう。「生きているからこそ、人間は堕落する。」

武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。・・・省略

日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明に待つよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。

 

更に視点を変え、高齢者の世界をみてみよう。

お年寄りが認知症や体が弱くなり、ひとりで生活できなくなったとき頼りになるのが福祉関係事業者である。全ての福祉事業者が健全な経営をしているとは言わないが、ほとんどの方々が身を粉にして従事している。

そこに登場するのが、自分で意思決定が出来ない状態になった高齢者の影に潜むその子又はその親族関係者である。

彼らは時にして事業者に謂れのないことを要求してくる。全て聞いていたら福祉関係事業者は完全にオーバーワークとなってしまう。また福祉従事者もサラリーマンである以上法律、規約を守り高齢者の権利擁護に従事しなければならないのであり、良かれと思いそれを乗り越えて支援した結果、社会的制裁を受けてしまう結果となるリスクもあり、社会ルールに沿ってしか携われないのである。

学校も高齢者施設も人間の感情が渦巻く業界、人間関係は法律を持っても解決することは出来ない。そう考えると学校の役割は国語、数学などの学力をつける場、社会観については基礎的なを教育にとどまり、後は家庭やスポーツを通して社会観を学ばざるを得ないと感じる

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ヤトゥ

ヤトゥ

「とある小さな都市」のフリーランス。-ある日誓いを立てた。ブログを通してスキルアップ!歳を重ねても若者に負けないよう日々研鑽すると。--

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