退化したっていいじゃない。

とある団塊ジュニア世代の男が( ˘⊖˘) 。o( )ーー「進化」と「退化」の迷走 ーー

すこし「堕落」について考え直そう。「生きているからこそ、人間は堕落する。」

time 2016/11/07

すこし「堕落」について考え直そう。「生きているからこそ、人間は堕落する。」

近年のニュースを見ていると、たまに理性がぶっ飛んでいる事件が多いような気がするんですが・・・

それは昔からあって、実はたんに報道がされなかっただけなんでしょうか?

いやいや違うな。徐々に日本人は堕落してきていると思われる。

自分自身を振り返れば・・・すぐわかる(笑)

と言うことで、

元来、人間というものはそういうもの、人間の欲は尽きないもので、僅かな変化で、理性の型が外れ、人間は堕落していく。「人間はもともと堕落しやすい生物なのだ。」「生きているからこそ、人間は堕落する。」

と説いた坂口安吾の堕落論

パンチのある文章を、私見の薄っぺら文章で要約します。

半年のうちに世相は変った。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。けなげな心情で男を送った女達も半年月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

戦争が終わってから半年しかたたないのに世の中はすっかり堕落してしまったようだ。

人の感情や考えはそう簡単に変わるものなのか?

いやいや

戦争中も同じであり、その上面の皮をひっぺ剥がせば、人間とは元々そんな生物だ。

人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

 

人間は堕落するものであり、人間は本来そういう生物。

但し、そんな人間でも、ほとんどは中途半端にしか堕落できないのさ。

なぜなら真の堕落はとても過酷なことであり、真の堕落をするには人間は弱すぎる生物なんだ。

結局「ブザマな姿は見せられないという気持ち」や「いらないプライド」や「思いどうりに行かないことを誰かのせいにする」など、中途半端に体をつくろい、真っ逆さまに堕ち抜くことはできない惨めな生物。

しかし、真の「美徳」「生きる目的」を知るには、一度、自らが底まで、真っ逆さまに堕ち切らなければならない。

そこで自分を発見し、そこから這い上がらなければ、分からない。

 

終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

 

「ほら!君の人生は自由だ、未来は君の頑張り次第で、何でもできるんだよ。」と言われても実際は、何を頑張ればよいのか。この状況で何ができるのか。

人間である限り完全な自由は無い(完全な自由=不自由)

なぜならば人間はいつか死に、いつも悪い出来事を想像してしまうからだ。

 

武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。

但し、

日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明に待つよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。

 

~ここからがちょっと難しい~

私たちの自由、或いは極めて人間的な部分を抑制するために「人間が作り出した道徳感」は、私たちの人間的な部分、言い換えれば弱い心を正すためのものであり、その道徳感は、実はとても非人間的なものなんだけども、これまでの長い歴史が物語るように人の心を潤す仕組みとなっている。

その点においては、とても人間的なものである。

しかし、その道徳感が作り出された本来の目的は、権力者がライバルを蹴落とすため、部下や国民を支配するために作られたものだ。

~簡単に説明すると、現在の道徳の由来は「本当は怖いグリム童話」~

 

戦時中のあの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。

だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫のような虚しい幻影にすぎないという気持がする。

 

少なくとも、戦時中の人々は堕落してはいなかった。

みんな従順で無垢だった。

しかし、今考えてみると、あれはただの幻影だったのかも・・・。

 

宮本武蔵は一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。

 

武蔵のような偉人ですら、「なにかに頼りたい。」「誰かのせいにしたい。」と言う感情がよぎった。

しかし、さすが武蔵、直ぐにその感情は無駄な感情と考え直した。

 

節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な足音、ただ打ちよせる波のようなその当然な足音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。

特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。

 

所詮、世の中に道徳があったとしても、人間の堕落は防ぎようがなく、憧れの永遠の美も幻影にすぎない。

人間の本当のスタートは堕落したところから始まるのだ。

 

まとめ

自分自身のことを堕落な人間と分かっていますが、実はどこかで堕落にも歯止めが利いているのだな。

日本は無宗教なので、その変わりに伝統的な道徳観が私たちを呪縛し、そう簡単には免れられない仕組みになっている。

他の国では宗教の教えなどがその役割を果たしているんだと思う。

そう考えると中東などの呪縛は大変なものだ。

それでも少しずつその道徳観、それぞれの倫理観が時代の流れとともに変化してきているのは間違いないと思われる。

だからゆえ「美しい国 日本」って言うヤツですね。

実際、本当はコウすべきなんだろうけど、まわり空気を読んで、コレをしたほうが無難だなと考え選択している私がいるのだな。

自分にとっても楽だし。

むむっ・・

得体の知れない空気

down

コメントする




関連記事

ヤトゥ

ヤトゥ

「とある小さな都市」のフリーランス。-ある日誓いを立てた。ブログを通してスキルアップ!歳を重ねても若者に負けないよう日々研鑽すると。--

はてなブログに移動します。