2018/05/15
「働くこと」の意義や理由は、自分自身の経験からしか語れないと思うが、残念ながら人生の大半の時間は働く運命にある。
そう考えると、「働くこと」で成長したいし、より良い対価を得たい。
また、どんな時も、その延長上にある夢(目的)を見失うことなく大切にしていきたい。
仕事の選び方は、目的、年代、立場により異なり、人それぞれ。
例えば・・・
- 楽しく、お洒落に仕事をしたいので、飲食店でウエイターの仕事を選ぶ人
- 人間関係に疲れて、会話の要らない作業中心の仕事を選ぶ人
- 料理が好きなので、調理の仕事を選ぶ人
- 何をしたらよいか分からず、フリーターを選ぶ人
- 運転がすることが苦にならないので、長距離トラックなど、運搬系の仕事を選ぶ人
- 世間体を気にして、サラリーマンを選ぶ人
- 給料は少なくとも時間を有効活用したいので、派遣の仕事を選ぶ人
- 誰にも縛られたくない、独立心が強く自営業を始める人
この国には「職業選択の自由」があり、「職業に貴賤なし」と云うが、人はどんな思考から職業を選択して、人生を歩んでいくのだろうか?
仕事なら何でも良いのか?
人は何のために働くのか?
僕自身の仕事の選択方法
上の例えは、僕自身の仕事の選択方法だった。
大学生時代、カラオケ屋さんでウエイターの仕事を始める。
この頃は、仕事すること自体が初めてで、責任感もなく、ただ楽しく、将来のことなんて全く考えず、この現状が永遠に続くかのような勘違いをする大バカ野郎だった。
当然ながら飽きっぽい性格で、バイトは転々と変えた。
大学卒業間近、やっと将来のことを考え、飲食店を経営する夢を持ち始める。
大学時代後半は、居酒屋の調理場のバイトをし、卒業後、板前の見習いになるが、身体を壊し、キッパリ夢をあきらめる。
我ながら根性なしだったなぁと思う。
自分が、「何がやりたいのか」さっぱり分からず、これから何を仕事にしようかと考えながらフリーターをやってみた。
考えても考えても、何をすれば良いか分からず堂々巡りなので、先ずは思いついた資格に片っ端から挑戦し取得する。(大型免許、けん引免許、危険物など)
「俺すごい。やればできるじゃん。」と、少し自信を取り戻す。
そうだ「トラック野郎になろう。」「マッドマックスに出てくるような外車のトラックに乗って全国を走りまわろう!」
などと、アホな事を考えるが家族、彼女(現在の妻)から反対される。
今度こそ、真剣に自分の人生を振り返り、現実的な選択しようと考える。
そして、僕の現実的な選択とは、実家に戻りサラリーマンとなることだった。
地元に戻り就職するが、いくら頑張っても会社に評価されている実感が湧かず、サラリーマンの辛い現実を知り、また将来への自信を失う。
しかし、僕はへこたれなかった。
「誰でも取得できる労働系の資格では、会社の言いなり、所詮、僕は会社にとって使い捨の捨駒だ。」と考え、もっと難しい、頭で勝負する資格に挑戦すると決める。
手始めに始めた宅地建物主任者資格を独学で猛勉強し一発合格。
「やっぱり俺すごい。やればできるんだよぉ。(涙)」と、また少し自信を取り戻す。
でも僕は、調子乗らず、直ぐに会社を辞める事はなかった。
その理由は、これまでの人生を振り返りと、そんな簡単にうまくイメージができなかったからだ。
要するに、僕の心の底に染みついた「負」「賤」の塊が、からだ全体を蝕んでいた。
それならば、「もっと難しい資格に挑戦してやる。」と決める。
何度も同じバカは繰り返さない。
「俺は、絶対やれるはず。」と・・
それから4年間、勉強し続けるがなかなか合格しない。
会社で役職を与えられたが「これに甘んじては人生が終わる」と悲観し会社を退職する。
これだけ勉強に時間を費やすと、もう簡単には諦められなかった。
意地になっていた。
世間全体を「敵」と感じ、完全に精神がおかしくなっていた。
そして勉強の時間が作れる派遣の仕事を始める。
勿論、安月給。
勿論、家庭では不穏な雰囲気が常に漂う。
夫婦喧嘩しながらも、それから2年更に勉強し、奇跡的にまぐれ合格。
資格合格に計7年ほど費やした。
現在は、その資格で飯を食っているし、仕事に不満はなく、完全に自信を取り戻した。
自営業者なので、相変わらす将来の不安は常に付きまとうが、頑張った分だけ反応があり、様々な生きるすべ<術)を学んで吸収してやろうと、日々前向きに暮らしている。
僕は、相変わらず、「俺は絶対できるはず。」と根拠のない前向き思考である。
「仕事」と「対価」について
大半の人間が、お金を稼いで、より良い生活を送るために働いていると思う。
但し、残念ながら一日24時間、人間は一日24時間以上働けない。
では、「限られた時間で効率よく、お金を稼ぐ」にはどうしたらよいか?
一般的に代替可能な労働は、対価が安い。
それは資格も同じであり、誰でも取れる数多くの人が持っている資格よりも、なかなか取得できない難しい資格の方が労働の対価が高いだろう。
「仕事(work)」と「労働(labor)」
昔、友人に言われた「仕事をする」と「労働する」は違うと。
仕事(work)
職人的な誇りを持ち、強制されている訳では無い。勿論、仕事なのでストレスが無いとは言えないが、比較的高いモチベーションを維持できる。
労働(labor)
完全に生きるためだけにやっていること。苦役。常にモチベーションは低い。
「賤」から「貴」に成り上がるには・・・
この国では「職業選択の自由」が認められている。
法律さえ守れば、働き方は自分で選択できるのだ。
但し、自分で仕事を始めても、その対価を得ることは簡単ではない。
人に雇われるにも、「賤」の末端にいた僕は、自分自身を売るセールスポイントが何もなかった。
そこで考えた「資格」は世間様から見て分かりやすい武器であり、セールスポイントでもある。
僕は、先ずは世間様から見て認められやすい武器である「資格」を次々と取得して、現在に至っている。
当時の僕には、あれこれ悩むより、興味のある資格を次々と取得して武器を装備していく方法しか思い浮かばなかった。
「賤」から抜け出すには、自分自身の固定観念で思考停止に陥らず、柔軟性を持って行動し続けなければならない。
生きて行くために・・・
何かを成し遂げるとき「継続すること」と「運」が必要だと良く言われるが、やはり、振り返ると例外なく、僕も「継続すること」と「運」で今に至っている。
妻から未だに言われる。
「あの時、資格試験に合格していなかったら、今どうなっているか、考えると恐ろしいね。」